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諡号・追号・異名

遺諡により後水尾と追号された。水尾とは清和天皇の異称である。後水尾天皇は、不和であった父後陽成天皇に、乱行があるとして退位に追い込まれた陽成天皇の「陽成」の加後号を贈り、自らは陽成の父であった清和天皇の異称「水尾」の加後号を名乗るという意志を持っていたことになる。このような父子逆転の加後号は他に例がない。遺諡は、鎌倉時代の後嵯峨天皇から南北朝時代・室町時代の後小松天皇にかけて多くあったが、その後7代にわたって絶えており、後水尾の遺諡は後小松以来約2世紀ぶりである。このことからも後水尾の強い意志が伺われる。また、清和源氏を称する徳川氏の上に立つという意志も見て取れる。

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学問を好み、「伊勢物語御抄」の著作がある。反面女性関係も派手であった。禁中法度を無視し宮中に遊女を招きいれたり、遊郭にまでおしのびで出かけた。退位後にも中宮以外の女性に30余人の子を産ませ56歳で出家した後も治らず、58歳で後の霊元天皇を産ませた。

慶長 (1611年3月27日) - 1615年7月13日
元和 1615年7月13日 - 1624年2月30日
寛永 1624年2月30日 - (1629年11月8日)

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2009年05月01日 12:05に投稿されたエントリーのページです。

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