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鉄道付属地の返還

満洲全土が日本の勢力下に入ると、鉄道付属地は必要なくなり、1937年(昭和12年)に満洲国に返還された。これに伴い、地方部の行なっていた付属地行政(土木・衛生・教育)は満洲国政府に移管され、満鉄地方部は廃止された。大量の満鉄職員(その多くは教員)が満鉄から満州国へ移籍した。

満洲事変以来、満洲の経営の中心は満鉄から関東軍に移る。また満洲国政府にも日本から高級官僚が送られてきて力を持つようになった。こうした勢力は、満州国の経済における満鉄の独占的地位をよしとしなかった。1938年3月、満鉄は鞍山製鉄所をはじめとする重工業部門を満州重工業開発(満業)に譲渡し、鉄道と炭鉱部門および調査部門に特化することになった。

こうしたなか、総裁松岡洋右は大調査部構想を掲げ、調査部門を強化するが、1942年、1943年の二度に亙る「満鉄調査部事件」(満鉄調査部の研究者が左翼的であるとして大量に検挙された)により、調査部門も活力を失った。

子会社の東亜勧業は満蒙開拓団の入植地確保のため、関東軍の指示で用地買収を行なった。代替地を用意せず、只同然の補償金で先住中国人を強制的に立ち退かせた。

満洲近代化においての満鉄の影響は大きかったが、1945年(昭和20年)の日本の敗戦の直前に満洲に侵攻したソビエト連邦軍に接収され、その施設は同年8月27日に発表された中ソ友好同盟条約により、中華民国政府とソビエト連邦政府の合弁による中国長春鉄路に移管される。一方、GHQによりポツダム宣言受諾にともなう閉鎖機関令が公布され、満鉄は同年9月30日に遡って閉鎖されたものとされた。ただし満鉄東京支社の財産などが残っていたので、清算は1957年(昭和32年)までかかった。

満鉄は消滅したものの、現地の鉄道輸送の人員や技術者は不足しており、旧満鉄社員の多くは中華民国政府の依頼によって現地に留められ、鉄道運行などの業務に従事させられた。これを留用という。留用は1948年まで続いた。彼らの留用による成果として、宝鷄 - 蘭州間の天蘭線開通が挙げられる。
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満鉄が満洲に残した各種インフラは日本撤退後も、1949年以降、中華民国に代わってこの地域を支配することになった中華人民共和国が東北部を経営する際にも大きく役立っており、1980年代に改革・開放政策が始まるまで、付近で発見された大慶油田と共に、国内が不安定であった中華人民共和国の経済を支え続けた。長春(旧・新京)や大連、瀋陽(旧称・奉天)といった主要都市では現在でも日本統治時代の建築物を多数目にすることが出来る。満鉄関連の建物も現在でも多くが修復されながら現在も使われており、たとえば満鉄大連本社は現在でも大連鉄道有限責任公司の事務所としてその建物を使用しており、大連などにある旧ヤマトホテルは現在も大連賓館や遼寧賓館などに名前を変えて営業を続けている。

なお、元満鉄に関係のある者を中心とし、満洲に関係のある帰還者、未帰還者およびその家族等の援護厚生を図ることを目的として、財団法人満鉄会が1954年(昭和29年)11月25日に設立された。旧満鉄社員及び満洲関係引揚者の援護厚生などを行っている。

満鉄各線で活躍した車両の一部は、ジハ1型など現在も稼働しているが、老朽化などの理由で、徐々に廃車・静態保存などが進んでいる。

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2009年06月05日 08:31に投稿されたエントリーのページです。

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